遊ぶ
遊びの記憶
遊びの記憶を辿っていくと、子どもの心に戻っていきます。
どんな遊びをしたかよりも、どんな風に楽しんだかを思い出してみます。
自由な空想に遊んでいたのか、緻密な観察やコレクションを楽しんでいたのか、
冒険好きだったのか、気分を楽しんでいたのか、目立つことが好きだったのか、と。
私は通称「横浜のチベット」と言われた緑区で小学校の多感な時期を過ごしました。
その名の通 り森に囲まれていて空き地も多く、遊びには困りません。
ノビル取りにいって田んぼにはまったり、ザリガニ釣りや虫取りにもよくいきました。
友だちと森に入っていくと、それぞれのキャラクターがでてきます。
珍しい虫を良く知っていて教えてくれる子、
カブト虫やクワガタを見つけるととにかく捕まえにいこうとする子。
どんどん歩いて先にいってしまう子、と、
同じ虫取りにいっても、みんな違った感受性を持っていて違う楽しみ方をしています。
その興味の原形になっている感受性の偏りは、野生の本能のようなもので、子犬がボールと遊んだり、
ネコがそよそよ速く動くものにじゃれついたりするのと同じように
生まれつき先天的に備わっているのではないかと思います。
原色に戻る
自分が大人になって、その遊びの方向性は変わっていますか、自分の幼友達をみて、どうですか。
興味の対象はいろいろ変化しても、やっぱり子どもの頃と似ているなーという印象はありませんか。
そして、その楽しみ方の傾向を見つけた時、なんとなく楽しくて、
自分が自分であるような感じがしませんか。
その楽しい感じをできるだけ失わないように生活の場を整えることで、心の潤いが生まれます。
ただ、みんなと同じにすることと、同じにさせること。
この二つは共にはっきりした自分がない感じですから、楽しみから除外します。
私がそのままの私であるということが遊びの核心であって、
だからこそ遊ぶことで能力が伸びるとか、子どもは遊ぶことが仕事だとか言われるわけです。
もっとも、大人の仕事も「私」を失わない限り遊びですから、大人も遊ぶことが仕事であり、
遊ぶことで自分が元々持っている能力が開花します。
みんな同色ではなく、原色を様々に組み合わせることで、美しい表現が広がります。
まず遊ぶことで、自分の原色を見つけます。
さらに、生活全体にその楽しみを広げていくと、原色がはっきりと輝いてきます。
その光と光とが多様に組合わさることで、社会全体も美しい輝きを増していきます。
先天を養う
生まれたばかりの赤ちゃんは先天の気にあふれています。
その、内から自然に沸き起こってくる生命力のようなものに突き動かされて、
何かを教えられることなく、自分の快感にそって、次から次へと興味のあることを追い掛け、
成長変化し続けています。
それが、年齢を重ねて行くと、純真に遊ぼうとする前に、あれこれいろいろ考えて、
本当にやりたいことに蓋をしてしまったり、違うことにすり替えて、
自分をなぐさめようとしたりしはじめます。
もちろん、全部が思うようにはいきませんが、本来の先天の感覚を鈍らせ、
ニセモノの快感に慣れてしまわないために、天真爛漫な遊び心はいつも磨いておきたいものです。
遊びの中には、先天の気が溢れています。
それは、こども達がいつも光に包まれているかのように、素のままで、元気が溢れ、
無邪気で、目が輝き、可愛らしく、清らかな感じがすることと関係しています。
ブラウン管とにらめっこし続けているのは、いわば遊びの代替ですから、輝きはにぶります。
安易な代替品で子どもの楽しみを奪ってはなりません。
同時に、自分の楽しみも押し込めてしまわないことが大切です。
ゆとりを持って楽しく暮らし、生涯輝き続けるための先天の気功、それが遊びです。
気功生活Vol.18 より 転載

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