座る ・ NPO法人気功協会ホームページ「気功のひろば」

座る 

座の文化

日本の文化は座の文化。
お茶やお花を引き合いに出すまでもなく、
ひと昔前までは、座るといえばだれでもあたりまえに正座をしていました。
それはちょうど、日常の生活空間にあたりまえに畳があったのと同じように。
畳があると、子どもは自然に正座で遊んでいます。
そのちょこんと座っている美しさはなんとも言えず見るものの魂を打ちます。
安定感と適度な集中感があって、上体からはちょうどよく力が抜けていて、
本当に無邪気で明るく楽しそうな感じがする。まさに気功態です。
正座は日本人の体に適した自然な座り方と言えるでしょう。
そして座ることはそのまま日常的な気功になっていたにちがいありません。
座れば力の焦点が腰に定まり、体は自然に安定し、整います。
正座の体勢は集中力と主体的な行動力を引出すのに好適です。
現在は、むしろ畳の部屋の方が少ない。畳の会場をさがすのもいつも一苦労です。
学校も畳に文机だといいと思うのですが、
ぜひとも全国津々浦々の学校に畳を入れてもらいたいと思います。
正座で集中することもできれば、ごろんと横になって休むこともできるというように、
畳の生活はゆるみと集中の幅がとても広い。
先日面白い実験をさせてもらい、
最近の若者は何であんなによく人にぶつかってくるのかがわかりました。
彼等は「なんて無神経な」と思われがちですが、言われるほど無神経なのではなく、
本当に鈍いだけなのです。わからないのだから悪いとも思わない。
でも鈍いままでは困りますから、感覚をよく働かせる訓練が必要ですね。
五メートルぐらい後ろから、誰かが拳を振り上げて殴り掛かろうと近寄ってくるとします。
その時、頭に気が上っていると殴られるまでほとんど気付かないのに、
腰に気が落ちていると、五メートル後ろでも、
拳を振り上げようとした瞬間に殺気を感じて振り向いてしまいます。
この違いには本当にびっくりしました。
正座と同じ腰に集中する体勢になると、一瞬にしてまわりの気配に敏感になる。
畳と正座の生活が、奥ゆかしい日本の文化を育み、
お互いのこまやかな心配りを楽しむことを可能にしてきたと言えるでしょう。
現代は身体の感覚が鈍ったまま、その形式だけが残っているために、
窮屈で堅苦しい感じがするのですね。
形骸化といいますが、中身を味わうことができずに形を保とうとすると、
その形自体も歪んでいきます。
そのため「形だけなら無い方がよっぽどまし」というしきたりや慣習や儀礼が、
今の生活空間にはたくさんあるのです。
「本腰を入れる」と思っても「本腰」が入らない。
それはよく言われる精神論ではなくて、具体的身体の問題、西
洋的ライフスタイルの模倣によって失われつつある身体感覚の問題なのです。
まず簡単にできるのは、子どもたちが自然に正座できる環境を整えることです。
大人の場合は、正座しても気持よく座れない人が多いので、重心を下に落とすことからはじめ、
自然体を取り戻しながら次第に座ることを楽しんでいくといいでしょう。
大人が簡単で子どもは難しいと思いがちですが、
身体の面から見ると子どもの方が簡単で大人が難しい。
子どもが難しくなっている背後には必ずといっていいほど大人の影響があります。
子どもは素直です。自然な環境があればすぐに変化します。
大人は自分の思い込みで変化を恐れ、自然を乱す。
子どもが子どもらしくふるまえない、子どもの大人化は大変な問題です。

座ることに執着しない

座ることに話を戻しましょう。
気功で座るといえば、一般に静功をイメージします。
動功に対する静功ですね。
外側からみて動きがあるものと動きのないもの。
しかし、動功と静功は、厳密に区別 できません。
気功は常に動と静が同居している状態、動静双兼をその旨とするからです。
大きな動きの中にも静けさがあり、静止した中にも躍動がある。
自然を求めていくとそのようになります。
従って、座る中に求めるものもまず第一に自然です。
重たい頭を支えるには、背骨を支える筋肉の発達が必要ですが、それ以上にバランス感覚が重要です。
バランス感覚が発達すれば長時間楽に座っていられます。
背骨を安定して立てるための微妙なバランス感覚、それこそが安定して座るための前提条件です。
では、自然に立つことと自然に座ることとはどう違うのか。
座ることのメリットは足のことを考えずに済み安定感があることです。
デメリットは腰が動きにくく移動しにくいことです。
そのため、せっかく座っても、足のことが気になり出すと、そわそわしてきて、
何のために座っているのかわかりません。
私は足を組んで座るのが大の苦手でした。
そんな場合はみんなに合わせて一生懸命座るのではなく、自分に合わせて工夫することが必要です。
安定することが目的なら、立った方が楽な場合もあるし、
足を組まなくても椅子に腰掛けることで充分目的を果たします。
膝や股関節に異常がある場合には、足を組んでもただ辛いだけで、
先に膝や股関節の調整が必要な場合もあります。
それでもなお足を組まなくてはいけないというなら、それはもはや気功ではなく、
行、あるいはしごきです。
自然を取り戻すための気功で、自然が失われてしまうのは考えものです。

自由を取り戻す

さて、自然に安定して座るためには立つことと同様、背骨の一つ一つが自由であることが大切です。
従って座る前には首と背骨が楽に動くようによくゆるめます。
立つと手足を動かすことで動いたつもりになれますが、座ると背骨の動きがごまかせません。
また、腰の位 置が固定している分、背骨の動き、内面的な動きは小さな動きでもはっきりします。
背骨は呼吸と共に様々に動き、背骨全体も上下に伸び縮みしています。
ともかく、生きている自然な体には常に動きがあります。
その自然な動きを自然なままに保つことが気功の役割です。
入静の深い境地も求め過ぎなければ自然に出会っていくものです。
いつ、どこで座っても、自然であれば、それがそのまま気功。

執着を離れ、生活を離れないのです。

気功生活Vol.12 より 転載