首まわし
からだの記憶
記憶には大きく二つの種類があります。頭の記憶とからだの記憶です。
気功はこの二つの記憶の橋渡しをしています。
では、実際に首を回してみましょう。力を抜いて、できるだけゆっくり。
なれた人なら、首を回そうとイメージした瞬間に気功状態に入ります。
初めての人でも、うまく力が抜けて、スローモーションのようにゆっくり回していると、
二、三周したところで普段とは違う心身の状態を感覚できます。
首がゆるまない人も、繰りかえし回していると自然とぽかんとしてきて、
あちこちの凝りや痛みに気付きます。はじめはここまでで充分です。
凝りや痛みは、いわばからだの警報装置。
非常ベルが鳴れば警備員が現場に駆け付けるように、局部の異常感がはっきりした瞬間から
既にからだはその解決に向けて働きだしています。
問題は凝りや痛みではなく、警報装置の故障、つまり無感覚です。
はじめの話で言えば、からだの記憶が頭の記憶とリンクしていない。
つまり無関係な状態です。
「なるほどからだはそんなにつらかったのか、それはさぞかし大変だったろう、御苦労さん」
ということにならないと、からだはずっと無視され続けたような孤独感に苛まれ、
意固地になってしまわないとも限りません。
ほったらかしていると、凝りが固まり、内臓や筋肉や皮膚や骨格の動きがにぶり、
本当にしこりができます。
例えば、よく首が回らないと言いますよね。
お金の悩み、借金のしこりはその言葉通り、首の根元に出るのだそうです。
対話の準備
そこで、からだとの対話が必要になってくるわけです。
理想を言えばツーと言えばカー。
頭とからだがツーカーになっているのが気功をしているときの特徴です。
そのためには取り除くべき二つの障害があります。
余分なからだの緊張と頭の緊張です。
場合によっては緊張を通 り越して、ズルンズルン、ベロンベロンにゆるんでしまっていて
大概な場合もありますが、どちらにしても、ゆるむべきところがゆるみ、
引き締るべきところが引き締っている。そうした自然な状態を目指します。
からだの余分な緊張を取り除いて自然にゆるめることを気功では「放鬆」と言っています。
一方、頭があれこれつくり出す妄想や思い込みの世界から離れ、
心静かになることを「入静」と言っています。
この「放鬆」と「入静」も、別 々にあるわけではなく、表裏一体です。
「放鬆」と「入静」がどちらとも判別 がつかず、渾然一体となっているところが気功のミソです。
気功態といえばこの「鬆静」状態、つまり、心身がほどよくゆるんだ状態をさします。
首まわしをしていると、この二つのことが、だれでも簡単に出来てしまいます。
頭をゆるめるのが以外と難しいのですが、首がゆるめばすぐにぽかんとしてきます。
力は不要です。楽に倒せるところまで首を自然に倒します。
そのまま息を深く吐くと、もう一段ゆるむ感じを楽しめます。
頭の重みでぶらさがっている感じです。
あとは、ほんのわずかに重心をずらしてやると、
ぶら下がっている首はゆっくりと自然にころがりだします。
「首の一回転がこんなに長い道のりだったのか!」となればしめたものです。
痛みもあれば、気持ちよさもある。つっかえたら、無理せず楽な迂回路を通ります。
ポイントは「ゆっくり」、そして「くり返し」です。
からだの記憶はゆっくり動くことで、はっきり再生されます。
機械の読み取り能力(からだの認識能力)が同じだとすると
、一、二、三、四と四秒で一周するのに対して、四十秒かけて回せば、
単純に考えて十倍の情報量を感知できます。
さらにくり返しまわしていると、回すごとに新しい発見があったり、
気持ちよさが微妙に変化していくことに気付いたりします。
そうしているうちに、からだの感受性が自然と深まってしまうのです。
落ち着く時間
現代には「鬆静」が不足しています。
こころとからだをひとつにして集中できる時間が生活の中からほとんどなくなってしまいました。
おちついてものが考えられないこどもが増えているのは、
次から次へと新しいものがめまぐるしく入れ替わる生活スタイルの影響だといえるでしょう。
たまに新聞を開くと、信じられないような事件の数々。
私たちはもう気づかなければいけません。
からだの異常な緊張が妄想を生み出し、バーチャルな実感のない空想が、
からだの異常緊張を生み出し、堂々巡りしています。
からだはずいぶん鈍っているので、非常ベルの一斉点検とメンテナンスが必要です。
私は中学の時、学校で毎朝中国式目の体操(気功)を取り入れていたので、
ちょっとした集中の習慣が持てました。小学生の娘も、毎朝始業前に瞑想の時間を持っています。
気功をするとは、特別なことではなく、日常にちょっとした「鬆静」の時間をつくることです。
「鬆静」の習慣ができると、からだの膨大な記憶が息を吹き返します。
からだは意識と無意識とを具体的につないでいます。
道に迷っても、ふと、自らの歩むべき道を無意識はいつも指し示しています。
からだの記憶は意識できる無意識の世界。
その意識と無意識のパイプをつなぐのが気功の醍醐味です。
入口は何でもよいのです。
からだと向き合うちょっとの時間をつくり、からだと対話する習慣を持つことが大切です。
首まわしなら、だれでも簡単にできてかなりの効果 が期待できます。
たかが首まわし、されど首まわし。
少し慣れたら、広々とした無意識の世界、からだという小宇宙の旅に出かけましょう。
気功生活Vol.7 より 転載

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